皆さんは、愛犬の犬種の歴史を知っておりますでしょうか。今回はボストンテリアの歴史をご紹介します。愛犬がどのような歴史をたどってきたのか覗いてみましょう。
犬種の歴史というのは、時に何百年前にもさかのぼりややもすると憶測の域をでないものもある。ただしボストンテリアが犬種として誕生したのはすでに金外に入ってから、1800年代の終わり。名前の通り、アメリカはボストンで誕生した。それもイギリスのブルドッグが元になっている。どうりで短頭のブル頭。
どうしてイギリス原産の犬がボストン出身の犬種が生まれたのか。それには当時のブルドッグ事情を知る必要がある。
アメリカの東海岸には、イギリスからの移民が多く入植していたものだ。彼らは当然母国で楽しんでいた余興も新天地に持ち込んだ。その一つが闘犬だ。ただし当時の闘犬というのは、日本の土佐闘犬のように、これといった一つの純血種に限定されたものではなかった。闘犬に興味を持つ人が、テリアやブルドッグなどを自由に交配させて作っていた。その代表がブル・テリアなどだ。ブルドッグとテリアのミックス。現在の犬種としての「ブルテリア」の母体ともなった。そして当時、掛け合わせに使われていたブルドッグというのは今のような穏やかな純血犬種ではなく、犬で雄牛(=ブル)をけしかける「ブル・ベイティング」で活躍していた犬の一般名称。ブルドッグにテリアを掛け合わせるというのは、イギリスの闘犬ファンの間ではとても流行したブリーディング・テクニック。ブルドッグにテリアの持つ機敏性と身軽さを加え、より闘犬としての機能アップを図ったというわけだ。
そして驚くなかれ、ボストンテリアも、これらブルドッグとテリアのミックスから生まれた闘犬がもとになっているのだ。イギリスから闘犬である「Hopper’s Judge」という犬がアメリカに輸入された。この犬は当時の闘犬としては割合小ぶり、およそ15kg。脚長で、暗色のブリンドル(虎毛)模様、ブレーズ(目と目の間から鼻梁まで中央を通る白い線)を持ち、首回りもホワイトの犬だった。この犬が、その後のボストンテリアのコートカラーの原型を作ったといってもいいだろう。そうこうするうちに、闘犬の流行もいつの間に廃れていった。この時点で世の人々はもはや戦わせることよりも、可愛がるということに犬の価値を見出しはじめたのだ。
というわけで闘犬を元に愛玩犬としての繁殖が始まった。ブリーダーは計画的にインブリーディング(血縁交配)を重ね、サイズダウンに成功。現在のボストンテリアになるべきプロトタイプを作成した。それでも当時の「愛玩犬」タイプにブリーディングされた闘犬は今よりもやはりまだごっつい見かけ。闘犬ブルドッグの面影が十分に残っていた。そしてコートのカラーも全体的に白っぽかったものだ。現在でもボストンテリアにはホワイトが勝っている子が生まれやすいのだが、それも当時の名残ともいえるだろう。
これら犬たちに「フレンチ・ブルドッグ」の血が加わり、いよいよ犬種の完成となった。その頃、丸顔ブルドッグ・とか、ボストン・ブルドッグ、トイ・ブルなどと様々な名前で呼ばれていたが、1893年にアメリカ・ケネルクラブによって公認を受け、「ボストン・テリア」という正式な犬種名が与えられた。
ボストン・テリアは、その後どんどん人気を高めていった。最初は社交界のサロンで流行りの犬となり、1920年から39年の間ではアメリカで家庭犬人気トップ10のナンバーワンをしばらく誇っていた。そしてアメリカケネルクラブでは1920年から53年の間になんと300000頭以上ものボストンテリアが登録されたという。
■グループ9 愛玩犬(コンパニオンドッグ&トイ・ドッグ)