オランダの犬?
欧米におけるパグ人気は、すでに戦前にさかのぼります。これはもう歴史的家庭犬のカテゴリーともいえますね。ただし日本でパグの名が一般的に知られるようになったのは80年代あたり。パグ人気の歴史の長さは違えど、この犬種に対する人々の前向きな見解は西も東もありません。
フレンチブルドッグ、ボストンテリアに並ぶ有名な短頭犬種ですが、しかしどこから来た犬なのか、実はあまり知られていないかもしれません。犬種スタンダードには原産国は中国であり後援国がイギリスとなっています。本によっては、パグはオランダからイギリスに連れてこられた、とも記されています。
パグが一世風靡したのは、今から400年前に遡ります。オランダ、イギリスをはじめとするヨーロッパ、そしてロシアの貴族階級の間にて人気の愛玩犬となりました。犬種専門家によっては、パグはオランダの犬と考えている人もいます。1800年代では《オランダ・パグ》」などと呼ばれていたそうです。1879年に犬種専門家であるストーンヘンジもオランダでのパグ人気をこう記しています。「オランダは、パグがとても好きな国であり、どこにでもこの犬がいるものだ」
オラニエ公を救った犬は本当にパグ?
ちなみにイギリスにおける最初のパグ人気はオランダ人であるウィリアム3世(1650-1702年)がイングランド王として即位した時代に遡ります。その頃はキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの前駆体でもあるトイ・スパニエルの全盛期だったのですが、ウィリアム3世(ウィレム3世)がオランダからパグを何頭かつれて来て以来、宮中ではすっかりパグ・ブームに。
ところで、ウィリアム3世の父、オラニエ公 (1533-1584)の命をスペイン軍の夜襲から救ったパグ、ポンペイの手柄話は有名です。敵がやってくる気配に気がついて寝ているオラニエ公を襲撃される前にワンワンと吠えて警告しました。さてはて、この犬が本当にパグであったのかどうか、実ははっきりしておらず、専門家によっては意見がわかれるようです。この逸話は実はキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの歴史話にも登場するのですね。おやおや!
しかし、多くの歴史家はオラニエ公と一緒に寝ていた犬はパグ、ということで同意をしています。というのも、この後、オラニエ家ではパグが好まれて飼われていたそうです。オランダで1600年代以降パグがとても人気となったのも、やはりこのオラニエ家の影響があると考えられています。
ブルドッグの小型版という説もあった!
ではオランダのパグはどこから来たのか。1700年代のフランスの博物学者ビュフォンは、パグはブルドッグのミニチュア版ではないかと考えていました。その説によると、まず、ブルドッグはオランダ人によって植民地である南アフリカに連れられました。そこで小型化し、その後、オランダに持ち帰られ、貴婦人のペットとなった、ということです。しかしこの説にはやや無理があります。というのも、ブルドッグに比べてパグの方がもっと歴史が古いからです。でもこの説は1800年代、割合広く信じられていました。
パグがオランダの犬ではないとすると、ではどこから?
中国やチベットには昔からたくさんのペタンコ顔の犬が存在していました。犬種歴史家の多くは、オランダは中国からパグの基になる犬を入れたのではないか、と考えています。オランダは東インド会社を通してアジアと交易を行なっていました。その中でアジア原産の犬が珍しい「商品」として流通されていたという事実もあります。
1800年代後期に犬種のブリーディングというホビーがイギリスで流行り始めると、イギリス人はオランダはもちろんロシアやオーストリア、中国からなど海外からパグを輸入し始めたといいます。そしてドッグショーに出陳。この流れの中ででパグは庶民の間でも知られるようになり、愛玩犬としての人気は現在に至ります。
■グループ9 愛玩犬(コンパニオンドッグ&トイ・ドッグ)