キャバリアとイギリス王室との深い関わり合い③
キャバリアとイギリス王室との深い関わり合い③
・キャバリアの辿った道
貴族の愛玩犬としてのトイスパニエルではあるが、当時は山鳥の狩猟に使われていたコッカー・スパニエルとのはっきりとした境界線もなく、繁殖の仕方はあいまいだった。1820年、J・スコットは「トイスパニエルはたとえ小さくても特に山鳥の狩猟犬として有能だ」と記している。1872年当時有名なスポーティング・ドッグ(=狩猟犬)のジャーナリストであるJ.H.ウォルッシュは
「トイスパニエルは、…、大抵白地にイエローかレッド、小さくて華奢な犬だ。しかし、その割にはすごくよく効く鼻をもち、獲物を見つけるのがとても上手だ。が、すぐにくたびれてしまうのが難点で、そのうち狩猟には滅多に使われなくなった。そして完全に愛玩犬として飼われるようになったのだ」
とその著書The Dog in Health and Disease (1859)で述べている。白地に赤ブチのブレンハイムの起源となったマールボロ公のブレンハイム・スパニエルは100%猟犬として活躍していた。ちなみに猟犬としてのクランバー・スパニエル(白地にうすオレンジのブチのイヌ)も、ここから由来したという説がある。
当時の猟犬の血が流れている証拠に、今でも鳥に興味を示すキャバリアは珍しくない。私の知っているブラック&タンのキャバリアは鶏小屋の侵入に成功し6羽(!)ほどしとめた。またアメリカには「キャバリアの昔の能力を維持するんだ」と鳥猟に使っている意地の人もいる。
キャバリアと狩猟犬スパニエルが完全に分離するようになったのは、1800年代の世界最初のドッグショーが開かれた頃。ブリーダーは“犬種”というカテゴリーを意識して繁殖するようになり、その結果、犬種特徴をより際立たせようと努力を払った。おそらく日本の狆や中国のパグが掛け合わせられたのだろう。トイスパニエルは次第に鼻ペチャとなり、それがショーのモードともなった(当時のイギリス人はよほどペチャ鼻に魅せられていたに違いない。ブルドッグにもこの頃パグが掛け合わされ、現在の究極のクシャ顔になる)。そして1800年代中頃では犬種名「キング・チャールズ・スパニエル」が与えられる。しかし200年前のチャールズ二世の頃のトイ・スパニエルとは大分姿が変えられていた。
1900年代の初め、ロンドンのクラフト展にあるアメリカ人が訪れる。ところが彼はチャールズ二世の絵画に登場するような昔タイプのトイ・スパニエルがいないことに落胆。「長いマズル、フラットなスカル、白い班のある頭部」を持つ昔タイプのトイ・スパニエルを探すため広告まで出し、ついにはそれを繁殖する彼の夢に一部の愛好家が応えてくれた。徐々に個体数は伸び、そして1946年、“チャールズ国王に付き添うイヌ”、という意味の「キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル」の名で独自の犬種として公式に認められるようになったのだ。