ポメラニアンの歴史②
ビクトリア女王の一番のお気に入り犬として
・文:藤田りか子
性格も見かけも含めてポメラニアンがポメラニアンになったのは、ドイツからイギリスに来てからです。英国ビクトリア女王のひいきの愛玩犬として一躍有名になるまで、世界にまだこんな小さなスピッツは犬種としては存在していませんでした。
ポメラニアンの元になったスピッツはドイツのウルフスピッツ。体高が50cm強ぐらいの今で言うケースホンドにあたる犬です。ケースホンドはかつてオランダの犬種と認定されていましたが、歴史的観点からドイツの犬種として戻されました。
さて、ドイツ出身のスピッツには、なんと5種のサイズバリエーションがあります。これらをまとめてドイツスピッツと呼びます。その中で一番小さいタイプがポメラニアンなのです。
原産国でのスピッツの暮らしといえば、彼らお決まりの仕事、つまり外に繋がれるか、農場をほっつき歩く番犬として農家で飼われていたようです。初めから貴族の手にあったというわけではありませんでした。余談になりますが、不思議なものでドイツにはあれだけネイティブの犬種がいるのに、貴族は自国の犬から純粋な愛玩犬種をとうとう何も作らずじまいなのですね。狩猟犬に関しては、ドイツ人貴族に作られた素晴らしい犬種がたくさんいるにもかかわらず! 強いて言えばピンシャー系の小型犬ですが、彼らとはいえ中世期ではネズミ捕りの作業犬でした。
1800年代、イギリスにはウルフスピッツなどドイツスピッツがかなり輸入されていたようです。ですが、当時は特に注目を浴びず人気犬種にもなりませんでした。スピッツドッグに突然スポットライトがあたったのは、誰かがノーマルサイズのスピッツから時折生まれてくる矮小型の犬に目をつけたからなのかもしれません。
そしてビクトリア女王がその後イタリアへ旅した時に、たくさんのドイツスピッツを連れて帰ったことにより、イギリスのブリーダーたちは一気に矮小型のイヌ作りに集中し始めました。女王が好きであれば「これぞブームになる!」と思ったのかもしれません。もちろん女王も矮小のスピッツに夢中になり、自らのケンネルを持つまでに至ります。その矮小型スピッツはドイツの地名をとって(ポメルン)ポメラニアンと名づけられました。
ビクトリア女王のポメラニアンに対する情熱のおかげで、たった20年の間にこの犬種は一気に人気者となりました。1907年のマンチェスターのあるショーではなんとポメラニアンばかりが500頭が出陳されたそうです。女王の本犬種への愛情は並々ならぬものだったようで、最期の時、枕もとにポメを座らせて見とってもらったというエピソードもあります。
戦後、イギリスのブリーダーたちによって、ポメラニアンの容姿は一層の洗練を受けました。そしてあのチャーミングなポメラニアン・キャラクターも完成したというわけです。それからは、ご存知のとおり、世界の家庭犬及びショードッグとなって今日に至ります。