皆さんは、愛犬の犬種の歴史を知っておりますでしょうか。今回はシーズーの歴史をご紹介します。愛犬がどのような歴史をたどってきたのか覗いてみましょう。
チベットの犬
今から16年前、犬の起源と犬種系統のつながりを知る上で、とても面白い研究がアメリカから発表されました。そこでは遺伝子の解読によって、そのパターンが似たもの同士を集めると、犬種はおおよそ4つのグループに分けられるということです。その一つに、古い起源を持つ犬種グループがあります。そこに多くのチベタン系、中国系の犬が属しているのですが、シーズー、ラサ・アプソ、ペキニーズ、シャーペイ、チベタン・テリア、チャウチャウが、アフガン・ハウンドやバゼンジーと共に同じグループに分けられています。
シーズーは元をたどれば、チベット出身の犬です。その祖先はチベットの寺院でマスコットとして、番犬として、あるいは宗教的な目的に飼われていたようです。宗教的な目的というのは、死後、人を土に戻す為の最も聖なる弔いの方法として、チベットでは屍を犬に食べさせていました。特に高尚な人であれば、その遺体は寺院の聖なるイヌに食べてもらったそうです。となると、それではシーズーの祖先犬は…?
チベットの犬が西洋に紹介された当時も、あまりにも西洋人にはショッキングなので、「チベットの弔いの儀式に使われる『死の竜のイヌ』」と婉曲して説明されたそうです。ちなみに今のような美しい「犬種」に仕立て上げたのはイギリスで、スタンダードにも後援国として記されています(原産国はチベットです)。
中国に渡り
シーズーがチベットからの贈り物として中国にわたったのは、主に清王朝の時代。ペキニーズの繫殖は、城内で別に行われていたそうで、多くの犬歴史家は、ここでペキニーズと交わり、現在のシーズーらしいペタンコ顔ができたのではないかと考えています。シーズーによく似た犬にラサ・アプソという犬種がいます。同じくチベット出身ですが、ラサアプソはシーズーに比べてマズルがとんがっています。
1900年の初め、紫禁城の西太后が他界する数ヶ月前に、ダライラマは何頭かのシーズーを中国に贈りました。1908年の西太后の死後も宦官によって、シーズーの繁殖は続けられたそうですが、欧米に渡ったのは、その後のこと。ただし、いずれの場合もプレゼントとしてであり、よほどの「コネ」がない限り、入手は非常に難しかったようです。
顔の可愛さの秘密がスタンダードにも記されている!
犬種の標準書(スタンダード)にはその犬の特徴が記されています。シーズーのそれを見ると、
「頭部は幅が広くて、丸く両眼の間の幅が広い…、目は大きく、丸く暗色で…温かい表情を与えること…」
「マズルは十分な幅があり正方形状、短く、シワはない。フラットで毛量豊か。鼻の先端からストップまで2.5cm…」
と記載されています。これだけ読んでもピンとこないのですが、普通の言葉に解釈するとこう読み取れます。
「丸くて広い頭、目はつぶらで大きい、口の回りもなにやら丸っこい」
ぱっと見た時感じる、シーズー独特の可愛らしさ、温かさ、人懐こさの表情は、まさにスタンダードのこの部分に凝縮されているのですね。動物の赤ちゃんに共通する特徴は、マズルが短いこと。あどけなさを表現する大事なディテールです。他犬種に比べると、シーズーは断然鼻ペチャさん。そのマズルは、親戚犬種のラサアプソよりも大分短いのですが、かといってペキニーズのように皺ができるほどペタンコにもなりませんでした。マズルが短いのに皺なし、というところがシーズーの一般ウケしやすい部分かもしれません。
シーズーの鼻周りは菊の花!
チャーミングポイントの鼻まわりといえば、スタンダードには西洋仕様(イギリス)ならではの面白い記述があります。
「鼻の上の被毛は上方向で生えている。これが菊のような印象を与える」
鼻のまわりから、豊かな毛が花火みたいに輪状に広がっていることを言わんとしています。しかし何故特に「菊」と表現したのか、面白いですね。多分イギリス人は東洋の犬ということで「菊と刀」をイメージしたかったのかもしれません。
ただし日本人からすると、菊ではなんとなくシーズーの可愛いイメージをおこしにくいかもしれません。菊といえば 紋章とか、スーパーで買う刺し身のパックに入っている黄色の菊を考えてしまいます。せめてデージー(和名「ひな菊」)ぐらいにして欲しかったですね!
■グループ9 愛玩犬(コンパニオンドッグ&トイ・ドッグ)