皆さんは、愛犬の犬種の歴史を知っておりますでしょうか。ボーダーコリーの歴史をご紹介。愛犬がどのような歴史をたどってきたのか覗いてみましょう。
見かけではなく「パフォーマンス」の犬種
ボーダーコリーを犬種として定義しているのは、牧羊犬として、あるいはスポーツドッグとしての能力でしょう。そう、見かけではなく、能力。ここが他の犬種と大きく異なる部分です。牧羊犬としての才能、羊飼いのコマンドに敏感である、羊に忍び寄る、ばらけないように群れに近づく、そして所定のところに羊を動かす、羊飼いの方へ羊を持ってくる、という特徴は、非常に高い遺伝率(遺伝のしやすさ)を持っていることがわかっています。欧米の「真のボーダーコリーのブリーダー」は牧羊犬としての作業能力を青写真として、ボーダーコリーを作っています。たとえば、スウェーデンではボーダーコリーの子犬をケネルクラブに登録するには、両親ともシープドッグトライアルであるレベルに達していることが求められています。
ボーダーコリーは昔からいたわけではなく、20世紀に入ってから犬種として確立しました。とはいえ、羊毛業が盛んになった15世紀頃からイギリスにはすでに優秀な牧羊犬が各地に存在していました。その犬たちは、今のボーダーコリーのような、強烈なアイと作業能力を持っていたわけではありません。アイというのは羊を凝視する行動です。ボーダーコリーの特徴でもあり、この「目力」によって、羊を動かします。
イギリス、特にスコットランドにおける牧羊犬は総括してコリーと呼ばれていました。1873年に初めて全国ハーディング競技会(羊を集めるスキルを競う競技会)が催されると、競技会に勝てる作業性能の高いイヌを作るために人々は初めて計画だてて繁殖を始めるようになりました。その中でスコットランドとイギリスの国境(=ボーダー地方)出身のコリーがよく勝つことで評判になります。このイヌ達は体を低くして這うように羊に近づき凝視して、 羊の動きをコントロールして駆るのが特徴でした。このスタイルはやがて競技世界のモードとなり、イヌは「ワーキング・コリー」と呼ばれるようになりました。1906年には国際シープドッグ協会が出来て、牧羊犬の登録が始まりました。この時にワーキングコリーという名は改められ、出身地にちなみ「ボーダーコリー」と呼ばれるようになったのです。
羊追いの行動は狩猟行動
なぜボーダーコリーは羊を集めるための一連の行動を見せることができるのでしょうか?
人間は選択繁殖を通して犬が本来持っていた行動のレパートリーから、羊を集めるのに必要な行動を上手に抽出した、と考えるといいでしょう。オオカミが狩猟を行うときには牧羊犬が羊を集めるときとよく似た行動を取ります。群れの一頭がシカの後ろにぐるりとまわって、そしてそろそろと近づき、シカを動かします。その動かしている方向に、実は羊飼いの代わりに仲間のオオカミが待機しています。このチームワークと作戦の技術は、オオカミから受け継がれ、そして牧羊犬種に残されました。それを利用して、人は牧羊犬種を作り上げました。
ありがたいことに、ボーダーコリーにはたとえ羊を動かしても、その後襲って殺すという欲は、オオカミほどありません。羊をひとところに集めてふたたび元の動作に戻ります。つまり、ひたすら羊に狙いをつけるように見つめて、そろそろと動きます。これはテープに吹き込まれた動画のように、繰り返し繰り返し、現れます。そしてこれこそ、選択繁殖をしてきた成果でもあります。
■グループ1:牧羊犬・牧畜犬